新緑の美しい季節になりましたね。
とても心が穏やかになれる季節でもありますね。
毎日、いかがお過ごしでしょうか。
シリーズとして書いている本内容ですが、残り3つの対称性の問題となりました。
一緒に考えていけたらと思います。
本テーマの背景として、私は、15年近く、研修やセミナーの運営責任者として、多くのセミナーや研修やイベントに携わらせていただいて来ました。
そこで、イベントやセミナーの規模や研修の形態によって、様々なLeadershipを学んで創ってきました。
その中でも、Leadershipをとるということは、メンバーの自主性を持たせること、みんながLeadershipを取れる状態にできるかということだと思っています。
1人のLeadershipに依存する形ではよいものは創れません。
人間にしかできないCreativeを、いかに集団知能を使って創り上げていけるか、その楽しみを関わる全員で共有できるかに尽きると思っています。
そのためには、リーダーの知るべきことの大前提が「観点の問題」についてです。
その“大前提”を知らないばかりに翻弄されてしまうリーダーの苦悩があります。
それがどんなことなのか、またそこからどのように解決していくのかという方向性までを書いています。
コミュニケーションをとること、Teamplayをすることで起こる、摩擦や衝突、分かり合えない苦しみ、リーダーが感じる孤独や辛さ等、それらが生まれる背景にあるのが「観点」です。
そこには、常に対称となる矛盾がはらんでいるのです。
それを整理すると以下のようになります。
<観点の6つの対称性の問題>
①観点の非認知と認知の問題
②観点の異質性と同質性の問題
③観点の流動性と固定性の問題
④観点の他発性と自発性の問題
⑤観点の否定と肯定の問題
⑥観点の不完全性と完全性の問題
今日はその中の④「観点の他発性と自発性の問題」について書いていきます。
観点(判断基準)が創られる背景をみれば、ほとんどの場合、外から創られるのです。
不思議に感じるかもしれませんが、自分から創った人はほとんどいないのです。
観点(判断基準)がどのように創られているのか、ということを簡潔に説明すると、生まれた時の環境となる時代や社会、習慣や教育、それだけでなく、関わる人(一番最初に出会う人は両親ですよね)、一緒に遊ぶ人等の情報を食べて、正しいこと、怒られないこと、褒められること、喜ばれること…等を判断していきます。
両親からの“良いこと、悪いこと”“褒められること、怒られること”という判断で物事を観察して、自分の判断基準を構築していくことが多いのではないでしょうか。
例えば、挨拶が重要であるという価値基準を持っている母親に育てられたとします。
毎日のように母親から「人に会ったら笑顔で挨拶するのよ」と言われて育ったとします。
その中には、「人に会ったら“笑顔”で“挨拶する”こと」が〇(良いこと)「人に会って挨拶しないこと」「挨拶しても笑顔ではないこと」が×(悪いこと)という意味合いが含まれていきます。
子どもからみたら、「人に会ったら“笑顔”で“挨拶する”」ということをやっていく中で、「これでいいのかな」「あってるかな」と母親の顔色をみて正解を掴んでいきます。
ですから、母親の目線が優位になって、母親の価値基準を覚えて生きます。
物心がついたころには「人に会ったら笑顔で挨拶すること」がその人には当然のことになっています。
当然すぎて、疑うこともありません。
疑うのは、「笑顔で挨拶しない人」です。
このように観点(判断基準)は、脳が柔らかい子どもの時から周りの環境によって創られていきます。
自分でも自覚がない状態である事象と出会ったら、自然に結論が出てくる因果論を構築しているのです。
なので、実は自分で選択しているということはなく、誰かが創った観点(判断基準)を持って、人間はいきているのです。
これでは、自主性、主体性、自由選択意思も持てない人間になってしまいます。
自分で選択したものではないので、どこか無意識で自信を持てないでいます。
会社でもいないでしょうか。
言われたことはきっちりこなすけど、「自分で考えてやってみて」と言われたら何をどのように考えて、何をしたらいいのかわからず、動けなくなってしまうという人。
自由な発想が欲しいのに、正解を求めて、リーダーの答えを待ってしまう人。
指示がないと何もできない人。
日本の教育自体が、自由な発想ができるようなDiscussionをする時間よりも内容を詰め込むことで精一杯で、答えを導く方法や答えを探すことを教えることが中心になっているので、その教育自体も主体性を育てることは難しいのです。
では、自分で観点を創れないことが問題だとして、自らが新しく観点を構築できたら問題は解決するのか、といえば答えは『NO』です。
その時代や社会、組織にとって「それは当然こうだろう」という因果論や決定論、当為論が出来上がっている状態で、新たな観点を共有することは困難だからです。
今までにない観点、考え方はそう簡単に受け入れられるものではありません。
それにより、孤独、疎外、時には糾弾や弾圧、迫害をされることもあるのです。
歴史をみても、時代を大きく変えた時にはいつも今までの常識の枠に囚われない発想や常識を破壊する発見がありました。
しかしながら、その発想をした人や発見をした人は、大概は猛烈なバッシングを受けその時々の法を使って裁かれることが多いのです。
リーダーにとっては、後者の方が多いかもしれませんね。
自らの方法を開発し、それらをメンバーに共有しようとしても容易ではない、という経験をされた方は多いのではないのでしょうか。
結果、相手に合わせるか、無理やり言う通りにさせるか、相手を否定して落ち込ませてしまうか…
仕事の内容よりもメンバーのモチベーション管理に疲弊していくことが多いのではないでしょうか。
受動的であっても能動的であっても問題は解決されないのです。
どうしたらいいのでしょうね…
その答えを導くヒントは、アインシュタイン博士の残した言葉
『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません』
(アインシュタイン150の言葉より)
ですよ。
もうすぐでその答えとなる方向性をお話しますね。
今回は、④観点の他発性と自発性の問題について書いてきました。
同じ次元の観方では、問題を解決することは不可能です。
ですが、そのことに気づかなければ何も始まりません。
Leadershipをとる立場なら、必ず知らなければならない「観点の問題」がこれからの時代の常識になっていくとなっていくと私は確信しています。
なぜなら、今までの観点で生み出された問題が今の時代に充満しているからです。
少しでも思い当たる節があれば、ぜひ「観点の問題」について考えてみてください。
人間関係で困っている人のお役に立ちたいと思っています。
次回以降もこの<観点の6つの対称性の問題>について書いていきたいと思います。
21世紀のLeadershipを共に創っていきましょう。