論理を持った行動『文武二道』ということ
新しいものを学ぶ時、どうしても知識でいっぱいになって、「やってることと言ってることが違う」ということが多々あったりします。
行動できる人からみたら、知識ばかりをもって、頭でっかちになって行動しない人に対して、「何でやらないんだ、動かないんだ!」と思うでしょう。
逆に、知識を持っている人からみたら、「そんなにやみくもに動き回っても無駄を創るだけだ。しっかり原理をわかって動くことが必要だ」と思うでしょう。
そのお互いの考えが真向でぶつかってしまうのです。
武蔵は、次のように言っています。
【武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、是道也。縦ひ此道ぶきようなりとも、武士たるものは、おのれおのれが分際程は、兵法をばつとむべき事なり。】
この部分を著者の齋藤孝さんの「超訳 宮本武蔵語録」では下記のように訳しています。
『自分の行く道の原理原則を求める「頭」を持ち、理詰めで事に当たらなければ、何も身につかない。力任せに闇雲にやるだけではダメなのだ。
能力の有無、得手・不得手は関係ない。「文武二道」の精神を持つことこそが重要である。』
知識を持つことは大事です。
でもそれを使って、いかに自分の生き方が変わるのか、その行動ができるのか、が重要です。
感覚で人との関係を創ったり、仕事をしたり、自分を感じたりすることも素晴らしい能力だと思います。
そこにあるメカニズムをみて、論理化できることで人との共有化が可能になります。
難しいからわからない、とその知識から遠のくのではなく、勉強をすることも大事です。
観術開発者のNoh Jesu氏は、
「理解できるまで“質問”をしてほしい。わかったら使って」
とよく言います。
理解できずに「信じ込む」ことも違います。しっかりと自分のものにしてほしいのです。
自分の生き方につなげてほしいのです。
「文武二道」。これからの生き方には必要な要素のように感じられます。
今の私にとって、重要な要素の1つとなっています。