“啐啄同時”の学び方
最近はセミナーの講師を担当させていただくことが増え、学んでいた立場以上に学びがあります。
今まで学んでいた内容の深い理解もそうですが、相手にどのように伝えることができれば、こちらのイメージをそのまま伝達することができるのか、ということは本当に難しい課題です。
人間の脳には、認識する癖が備わっています。
その中で「過去のイメージとつなげて認識する」というものがあります。
自分の過去にみたり、聞いたり、経験したりしたイメージにつなげて理解しようとする働きがあります。
そのことをわかって、相手に『過去のイメージとつなげずに聞いてください』と言ったところで中々制御することは容易なことではないのです。
武蔵も兵法を教える時の困難があったのでしょう。
教える側の責任と教わる側の姿勢態度についても書いています。
【世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにをしゆる事、是兵法の実の道也。】
教わる側は、「これが必要な時に役にたつのだろうか、という心を持たず、いつでも使えるように稽古しなければならない」
教える側は、「これがどのように役に立つのかを教えなければならない」
観術創始者のNoh Jesu氏は、「啐啄同時」という言葉をよく使われます。
卵の中から雛が外へ出ようと殻をつつく(啐)のと、親鳥が外側から卵の殻をつつく(啄)のがピタッとタイミングが合う時に、卵の殻が割れて、雛は卵の外に出ることができます。
伝えたい側が外からつついているのに、中から全然違う所をつついていては、いつまでも内容を受け取れません。
伝える側と教わる側の意志がピタッと合った時に、本来の学びができるのだと常々思います。