自分の命である“時間”
『時間』は自分の命だ
とNohさんは言いました。
私はハッとしました。
Nohさんは続けて言います。
「なのになんで時間を無駄に使うの?」と。
本当にそうだなと思いました。
人生は砂時計のようだ、と例えることがあります。
いつか砂は全部落ちきってしまうのに、人生が永遠ではないのに、無意識でずっとあるように感じている。
この「人生」という有限な「時間」を大切に使うこと。
どのような使い方が有効なのか。
それを知るためにも「生きること」とは何なのか?という質問に終止符を打って人生をみてみることが必要だと思います。
私たちは、生まれて物心ついた頃には放たれた弓矢状態です。
放たれた出発点を知らずに飛んでいたから飛び続けるしかない状態になる。
周りをみたら同じように飛んでいるからこれでいいのか、と安心しながら、周りと比較しながら…
どこから出発してどこに向かっている“今”なのか。
わからずにずっと生き続けている状態なのです。
人類が500万年間ストップすることができなかった人間の生き方だったのです。
これも終わりにすることができます。
これがわかった状態で生きることができます。
生老病死を心配する生命的生き方から、死んでも消えない精神的生き方に変わるそんな『人間観』が当たり前の時代になろうとしているのを感じます。