思考する動物、人間を超えるために、思考の道具脳を使う智慧
人間の宿命的課題、それは考えること。
他の動物と違って、人間は思考ができます。
それによって、唯一真理を追究することができるのです。
人間とは何なのか、自分とは何なのか、生きるとはどういうことなのか。
人間がその“答え”に辿り着くことができるのです。
真理の探究は問答によってされています。
質問に対して答えが出る。そこから次に生まれる質問に対して答えを探す。その繰り返しによって、真理に到達します。
しかし、その思考ができるようになったことで、また、その思考に苦しむことにもなっています。
多くの情報を一度に得ることができるようになった現代。
知れば知るほど、多くのことを経験すればするほど、無意識に生まれる『正しい』と『間違っている』という格差。
知っている知識が増えれば増えるほど、人を判断するデータも多くなり、格差も創っていきます。
その考えから自由になれずに人との関係性が創れない。
その考えにつかまれて、新しいチャレンジができない。
完全に『知の完全性の罠』につかまってしまうのです。
悟りとは、その『知の完全性の罠』から自由になることなのです。
知っていることと知らないことの格差を創らない。
悟りとは『差を取る』とも言えます。
本当の悟りが分かれば、究極に差を取ることができます。
しかし、人間は思考します。
他の動物よりも発展した脳があるからです。
その脳をわかって、脳を使って、脳を超えなければなりません。
それは、今までの歴史上にない、究極の智慧によって生まれた道具によって可能になります。
その道具が、観術であり、その開発者であるNoh Jesuだと私は思うのです。