禅の悟りの道筋を表現した「十牛図」の前段階
昨日、「考えを卒業するための究極の質問」というブログを書きました。
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その究極の質問に出会い、その答えを知り、新しい生き方を表現しているものに、『十牛図』というものがあります。
これは、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題に十枚の絵で表したもの(ウィキペディア「十牛図」より)です。
十牛図は、牛を探そうと意志を立てるところ(尋牛(じんぎゅう))から始まっています。
しかし、観術創始者のNoh Jesu氏は、この前段階があると言っています。
それは、繋がれていた牛が逃げたところから始まります。
農業社会では、牛はとても貴重な道具でした。
その牛が逃げたことにも気づかず、主人は夢の中です。
これが何を表現するのか?
『今、人間が生きていると思っている世界が夢の中である』ということなのです。
夢の中にいることにも気づかないで、相手に対してムカついたり、へこんだり、悲しくなったり、喜んだりしている状態なのです。
牛は、「本来の心」「本来の自分」と表現することができます。
本来の自分が何かわからず、夢の中の自分を自分と思い込んでいる、それが尋牛の前段階にあたるのです。
夢から覚めて、牛がいなくなったことに気づき、牛探しが始まります。
牛の足跡をみつけても、実態はまだみえません。
その牛をみつけて、どんな状態で「究極の質問」に辿り着けるのでしょうか。
その質問に辿り着くためには、そもそも「夢の中」にいることに気づかなくてはならないのです。
そして、牛が逃げたことに気づかなくてはならないのです。
悟りを追及した方たちがどんな心でその答えを知りたいと望んだのかー
考えを卒業するための究極の質問に辿り着くためには、どのくらい懇切な探求心と切迫感が必要なのか、その姿勢を感じ、その心を育てていこうと思います。