「賢明」の裏にある無知の完全性
私は、新しいアイデンティティ教育の講師をさせていただいています。
お伝えさせていただくたびに、
人間の本来の姿、無限の可能性、唯一無二の絶対尊厳
ということが深くなり、
『人間こんなもんじゃない!』
という強烈な感情が湧いてきます。
そんな中で、女性の役割ポジションを持った方のアイデンティティについて考えることがよくあります。
「良妻賢母」という言葉、ステキだな、と思う反面
一女性としてのアイデンティティが含まれていないような気がします。
女性は結婚したら、妻になり奥さんになり
出産したら、○○ちゃんのお母さんになり
アイデンティティで呼ばれ方が変わり、
女性としてのアイデンティティが見失われそうになります。
現代は、女性の活躍が増え、
そんなことはほとんどなくなっているように思いますが、
日本以外の国をみたら、
まだまだ残っている文化でもある気がします。
私は21世紀の女性の生き方のモデルってどんな感じだろう
と思ったとき、『賢明』という言葉が浮かびます。
全てを知っているから余裕があるし、無知であることができる。
答えがわかるから質問ができる。
今の時代に必要なスキルは『質問力』だと思っているのです。
そのことについて、考えて共有していける人が増えたらうれしいな、
と思いつつ、これから出会っていく人をイメージしながら
感じたことを書いていこうと思います。