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先日視聴した、映画『鬼滅の刃 無限城編 第一章』について、感じたことを記録しているブログです。

今回の作品では、『日本』を強く感じ、以下の2点についてブログに記しています。
①武士道精神
②弱さを受け入れる真の強さ(生命より精神)
①の「武士道精神」については、以下をご覧ください。
creative-field.hatenadiary.com
本日は②弱さを受け入れる真の強さ(生命より精神)について書いていこうと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
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②鬼滅の刃からみる『弱さを受け入れる真の強さ(生命より精神)』
これを感じたのは、鬼になった猗窩座の背景。
「大切なものを守れなかったー」という思いから、強さを追求してきた猗窩座。
もっと強く、もっと強く...
人間の記憶を忘れ、鬼になって強さの高みを目指していた猗窩座に、
炭治郎と義勇の言動が人間だった頃の記憶を想起させていきます。
猗窩座はもともと「大切な人を守るため」に強さを求めていました。
しかし鬼になってからは、その目的を失い、「強くなること自体」が目的化してしまったのです。
この転換こそが、彼の悲劇の核心だったのではないでしょうか。
ですが、最後に首を斬られても死ぬことなく生きていた猗窩座を通して、
本当の強さは肉体的な強さよりも精神的な強さの方が勝ると確信しました。
鬼となっても肉体の強さを追い求め続けた猗窩座。
しかし最後に示したのは、肉体ではなく“精神”の選択でした。
人間は生き物である前に、精神を生きる存在なのだと強く感じました。
人間は、生命体ではなく“精神体である”、と。
最後に、自らの弱さを受け入れ、無惨の鬼に戻れという命にも動じず消えていった猗窩座をみて、
真の強さとは、弱さを受け入れた時に得られるものだと感じました。
弱さを無視すれば誤魔化しになり、消そうとすれば自己否定になります。
けれども、弱さを“そのまま抱きしめる”とき、はじめて人は自由になります。
アモールファティできた時に、新しく進むことができるのだと。
それが猗窩座の最後の姿から伝わってきました。
敗北の中で弱さを受け入れ、それを力へと変えていく姿。
これは武士道や禅に通じる「日本の精神」の一つの表れだと感じました。
猗窩座を通じて描かれたのは、単なる敵の最期ではなく、
日本的な“生き様”そのものだったのかもしれません。
日本の美しい精神、強い日本の姿勢態度を感じ、
日本映画として、誇りに思います。
今回、感じたことをブログに残せたことも、とてもうれしいです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!