Creative of Zero Space

Creative of Zero Space

存在させている“みえない背景”にスポットを当てて書いていきたいと思います!

無意識のブレーキと意識のアクセル①~私の映画タイトル

4月も残り3日となりました。

ということは、平成も残り3日となりますね。

 

31年間という1つの時代が終わろうとしています。

未来の子どもたちは、「平成」という時代をどのような歴史として学ぶことになるのでしょうか。

また、新しく始まる「令和」という時代。

こちらの時代もどのような歴史を創っていくのでしょうか。

f:id:CreativeField:20190426232200j:plain

 

 

長い歴史の中の1部を今、私たちが生きている。

更には、その歴史を創っている、ということを強く感じます。

 

 

大きな“時代”というのもそうですが、

個人の“生き方”というのも同じように創っている

『プロセス』なのだということを感じます。

 

1人ひとり、お母さんのお腹から出て、

最初に泣いた(Out Putした)状態から、

最初に息を吸い込んだ時に、

その瞬間のEnergyを吸い込んで

人生が始まっています。

 

(余談ですが、上記のように最初に吸い込んだ時の天体の配置が自分の根底のEnergyということで、生年月日で占います)

 

その状態では、判断する基準は何もない、大自由な状態です。

“私”という我も無い状態です。

 

そこから、名前で呼ばれて、返事をするようにされ、

自分の名前を自分で覚えていくようになります。

 

様々な経験を通して、

物事の捉え方を構築していくようになります。

 

それが脳の柔らかい12歳くらいまでの間に90%以上創られているのです。

なので、ほとんどが自分で選択して意思決定したといよりも

外(身近な人)からの『善かれ悪かれ』の判断を知らない間に入れられていくのです。

 

その中で、強烈なショックを感じる出来事があります。

物事の捉え方レベルではなく、

“自分”というアイデンティティ構築レベルでの基準軸を創ることになります。

そのことを『無意識エンジン』と呼んでいます。

 

『無意識エンジン』とは、

名前の通り、『無意識』で作動しているその人の『エンジン』です。

『エンジン』ですから、その人を動かす原動力と直結しています。

自分が稼働できる範囲を自らが知らない間に創っていたということになります。

 

強烈なショックを持って、

無意識にある決断をします。

それは、“自分”についてだったり“人間”という枠での規定であったり、“現実”や“環境”についてだったりします。

 

その決断を無意識にしていることにも気づかず、

意識では、それとは真逆の“自分”や“人間”や“環境”についての期待や願望を持っているのです。

その無意識の『ブレーキ』と意識の『アクセル』を踏みながら、

自分のエンジンを稼働させ、

思ったようにいかない現実を生きているのがほとんどなのです。

更には、自分の人生についての『映画タイトル』を掲げて…

 

 

それがどういうことなのか、ということを

私の『無意識エンジン』を通してご紹介できたらと思いますので、

しばらくお付き合いください。

f:id:CreativeField:20190426233214j:plain

 

何度かblogでも紹介しておりますが、

私は、3人兄弟の真ん中で生まれました。

2歳上の兄と3歳下の妹の真ん中です。

 

一番のショック事件は4歳くらいにありました。

母方のいとこのお家に遊びに行った時のことです。

玄関で「こんにちは!」と入ると

「待ってたよ~!」と兄だけを呼び込むいとこたちの声があります。

兄は急いで部屋に入って行って、

私と妹は置いてきぼりです。

その後、私たちの名前を呼ばれて中に入ることはありませんでした。

部屋の中で楽しそうに画面に向かってゲームをしている彼らの目線は、

部屋のドアの敷居に座って呼ばれることを待っている私たちにくることはありませんでした。

そこで居た堪れなくなって、妹に

「お母さんの所に行こう」と言って

キッチンに向かったことを思い出しました。

 

その時に、私の中の無意識のブレーキとなる決断がされたのです。

 

―私はひとりなんだ。私のことをわかってくれる人はいないんだ。

 

と。

もちろん、そんな決断をした覚えはありませんし、

そんなブレーキを踏んでいることすら気づくことはありません。

 

そこから、私は

「ほらね、やっぱり1人でしょ。誰もわかってくれないでしょ。」

ということを蓄積していきます。

 

そんなブレーキを踏んでいるとは知らず、

強く求めるものがあります。

 

―どんな条件でも変わらない仲間がほしい

 

と思っていたのです。

チームプレイをしたかったのですね。

 

だから、一生懸命がんばるんです。

だから、楽しいんです。

 

そんな状況なので、周りからみたら、

真摯に取り組んでいるようにみえるのでしょうか。

よく、キャプテンや部長等、リーダーポジションに推薦されるようになります。

 

そうなると、

メンバーが好き勝手する → 私が怒られる

 

→やっぱり誰もわかってくれない…

 

→ほらね、私はやっぱり一人でしょ。

 

でも心は

つながりたい。

条件で変わらない関係性がほしい。

 

とずっと思っていました。

 

そんなアクセルとブレーキを踏みながら、

自分のエンジンを駆動させながら生きてきたわけです。

 

自分の人生を映画にしたなら

「誰もわかってくれない1人ぼっちのあきこの物語(笑)」

 

あまり見たくはないですが…

 

その状態から、

今はチームプレーができるということが

どいうことなのか、

ということが明確にわかり

実践している状態になっています。

 

それがどういうことなのか。

なぜ、それが可能になったのか。

ということを

元号が始まってから書いていこうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!