「自分が話すために聞く」ことで話が聞ける
3日間に渡り開催してきた今回の『Industry5.0セミナー』も本日で最終日となりました。
話が聞ける状態、聞いてイメージが残ってる状態は、「自分が話すために聞く」ことです。
その対象が明確にいれば尚良いです。
自分が理解するために聞こうとするのは力が入って中々相手の言ってることを聴けないことが多いのです。
聴いた話を人に伝える、という実践行動を通して、自分のものとなることが多いということは、私も実感しております。
聴いて理解できたと思ったことと、人に話すことで理解できてることは深さが違います。
人に伝えながら教えながら自分のものになっていく、そのシステムとなる尊厳塾は本当によくできたシステムだと思います。
それを通して、お金も循環させていく。
新しい経済モデルも必要な時代です。
新しい技術を学びながら、
人に伝えることを通して自分の理解を深めながら、
お金まで循環させていける、
そんなシステムがあるんです⁉︎
ご興味ある方は、お近くの説明会にご参加ください。
「3次元の立体スクリーン」の現実の外に出ることができる技術
昨日から、観術創始者Noh Jesuが直接講師を担当する『Industry5.0セミナー』が始まっています。
この現実は、3次元の立体スクリーンに映し出された映画であること。
それをしっかりと“スクリーン原理”として体系化してお伝えしている本セミナー。
この現実がスクリーンの中であることが明確にわかったら、スクリーンの外に出ること。
そして、新たな映画を自ら創っていくことができる。
そんな生き方が当たり前になる時代が来ています。
いつまで、スクリーンの中にいることに気づかないまま生きていきますか?
いつまで、自分で統制、調整できない宇宙の中で生きていきますか?
いつまで、この身体の範囲が自分だと思って生きていきますか?
いつまで、今までの人類の歴史を繰り返しますか?
いつまで…
一歩の勇気が新しい生き方をスタートさせるヒントをくれます。
一歩の挑戦が新しい日本を創ることができます。
あなたの一歩が今までの歴史にピリオドを打つことができます。
1人の貴重な一歩を応援したいと思っています。
新しい時代の夜明けのために。
オリジナルから生まれる“今ここ”のライブ
今日から3日間、観術創始者Noh Jesuが直接講師を担当する『Industry5.0セミナー』が始まります。
オリジナルから直接内容を聞くことは、とても貴重な機会だといても感じています。
私も講師として内容を伝えさせていただく立場ではありますが、やはりオリジナルに勝るものはありません。
どこまでも進化が起こっていくオリジナルの脳内の源泉。
新たな知識と出会って、再解析されて出てくる内容は、常に受講生との相互作用で生まれるライブであるといつも感じています。
常に物事を生み出したオリジナルは、無くなってから重宝されるキライがあります。
まだ、オリジナルと出会い、オリジナルの内容を聞ける機会に触れていただきたい。
真剣勝負をしていただきたい。
そういつも願っています。
今回はどんなライブが創造されるのか、楽しみに共に場を演出していきたいと思います!
悟りはゴールではなく、スタートです
認識セミナー2日目が終了と共に、今回の認識セミナーが終了しました。
以前は4日間かけて開催していたセミナーだったので、2日間で終了するとなるととても早く感じます。
昨日に続き、観術が伝えているFinal Answerとの出会いをどのようにできるのか。
みなさんとの真剣勝負でした。
観術がお伝えしている新しい『人間観』でもあります。
無限の可能性、尊厳そのものが本当の自分です。
そこに辿り着くまでのすべては道具。
Final Answerを聞いて『本物だ』と確信されていました。
本当に真実とは何かを追究し続けたから出会うことができる“Final Answer”。
知ったところから新しい生き方が始まります。
これからの時代、悟りはゴール・目的ではなく、出発です。
悟りは得られるものではなくて、気づくものです。
気付くことができないようにしている『脳の仕組み』があるだけ。
認識技術が無いだけで、既に悟っています。
そこに気づくかどうか。
ずっと探求してきた方が認めた「認識セミナー」で新しい自分という『人間観』。
悟りをスタートにした新しい生き方を始めませんか
“啐啄同時”の学び方
最近はセミナーの講師を担当させていただくことが増え、学んでいた立場以上に学びがあります。
今まで学んでいた内容の深い理解もそうですが、相手にどのように伝えることができれば、こちらのイメージをそのまま伝達することができるのか、ということは本当に難しい課題です。
人間の脳には、認識する癖が備わっています。
その中で「過去のイメージとつなげて認識する」というものがあります。
自分の過去にみたり、聞いたり、経験したりしたイメージにつなげて理解しようとする働きがあります。
そのことをわかって、相手に『過去のイメージとつなげずに聞いてください』と言ったところで中々制御することは容易なことではないのです。
武蔵も兵法を教える時の困難があったのでしょう。
教える側の責任と教わる側の姿勢態度についても書いています。
【世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにをしゆる事、是兵法の実の道也。】
教わる側は、「これが必要な時に役にたつのだろうか、という心を持たず、いつでも使えるように稽古しなければならない」
教える側は、「これがどのように役に立つのかを教えなければならない」
観術創始者のNoh Jesu氏は、「啐啄同時」という言葉をよく使われます。
卵の中から雛が外へ出ようと殻をつつく(啐)のと、親鳥が外側から卵の殻をつつく(啄)のがピタッとタイミングが合う時に、卵の殻が割れて、雛は卵の外に出ることができます。
伝えたい側が外からつついているのに、中から全然違う所をつついていては、いつまでも内容を受け取れません。
伝える側と教わる側の意志がピタッと合った時に、本来の学びができるのだと常々思います。
新しい「人間観」が必要な時代に
現代は、人工知能がどんどんバージョンアップしていて、今まで人間にしかできない思われていたこともDeeplearnigを通して、人工知能も可能になってきています。
さらに、今は無いけれど、人工知能にも「我」を持つようにさせる流れもできてきています。
そんな人間がやっていたことをどんどん人工知能ができるようになっては、人間の勝ち目はありません。
人工知能だけでなく、同じ人間同士でも紛争・戦争が絶えない状況をみて、「我」を持った人工知能は、人間をどのように判断するのでしょうか。
人間は今の集団知能のままでは、今までの通りの生き方が難しい時代を自ら創りだしてしまいました。
集団知能のバージョンアップが必要な時代です。
この身体が自分だという今までの「人間観」では、動物レベルの生命体です。それでは、生死という概念から自由になりません。
常に死ぬことへの恐怖がある状態です。
でも本来人間は精神体です。
自分の意志を立てて、貫き、残すことができます。
意志は、身体がなくなっても残すことができます。
死への恐怖を超えて、生きることができるのが本来の人間です。
死を超えた生き方は、生きた状態でしか得ることができません。
真理を悟った人に共通してみられる文章には、「死んで生きる」や「生きたまま死ぬ」等、生死の概念を明確に超えていることを感じるものが多いのです。
武蔵も同様のことを記しています。
【死する道においては、武士斗にかぎらず、出家にても、女にても、百姓已下に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。】
武蔵は、義理を知って、恥を知って、死ぬ覚悟をもつことは、武士に限らずどんな人にも共通する生き方だといっています。
考えがいつも「有る」ところからの出発では、「無い」状態になるのが怖いのです。
しかし、「有る」ということを証明することができるか、と問われれば、その証明はできません。
なぜならば、すべてのものは「無い」世界から生まれているからです。
「有る」ことが出発の考え方を教わり、それが当然だと思っているから何の疑いもしないのです。
「無い」世界から「有る」世界ができているなら、出発は「死」です。
後は生きることしかないのです。
「無い」世界を基準にした時、生死を超えた「生き方」を意志を持って創っていけるのです。
生死を超えた精神体として、新しい「人間」を再定義する時代に私たちは今生きているのです。