Creative of Zero Space

ーZero Spaceを活用する生き方とはー

悟りはゴールではなく、スタートです

認識セミナー2日目が終了と共に、今回の認識セミナーが終了しました。

以前は4日間かけて開催していたセミナーだったので、2日間で終了するとなるととても早く感じます。

 

昨日に続き、観術が伝えているFinal Answerとの出会いをどのようにできるのか。

みなさんとの真剣勝負でした。

 

観術がお伝えしている新しい『人間観』でもあります。

無限の可能性、尊厳そのものが本当の自分です。

そこに辿り着くまでのすべては道具。

 

Final Answerを聞いて『本物だ』と確信されていました。

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本当に真実とは何かを追究し続けたから出会うことができる“Final Answer”。

知ったところから新しい生き方が始まります。

 

これからの時代、悟りはゴール・目的ではなく、出発です。

悟りは得られるものではなくて、気づくものです。

気付くことができないようにしている『脳の仕組み』があるだけ。

認識技術が無いだけで、既に悟っています。

そこに気づくかどうか。

 

ずっと探求してきた方が認めた「認識セミナー」で新しい自分という『人間観』。

悟りをスタートにした新しい生き方を始めませんか

出会いの真剣勝負

連続で書いていた「宮本武蔵」の世界はお休み。

今日から2日間、認識セミナーを担当させていただきます。

 

今回ご参加の方は、真理を追究してきて、Nohさんの本と出会って、『これで最後にしよう!』『学びは今回で最後』とみなさんの参加の目的がラスト勝負をするために参加されたという方が多くいらっしゃいました。

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皆様の真理に対する探究の姿勢と真摯に向き合い、私も真剣勝負をしたい、と思って始まりました。

 

本当に皆様の探究の姿勢を学びつつ、共有できること、提供できる最大限の内容をお伝えして1日目を終了することができました。

 

皆様の参加の姿勢に脱帽です。

1日目、おつかれさまでした。

ありがとうございました。

“啐啄同時”の学び方

最近はセミナーの講師を担当させていただくことが増え、学んでいた立場以上に学びがあります。

 

今まで学んでいた内容の深い理解もそうですが、相手にどのように伝えることができれば、こちらのイメージをそのまま伝達することができるのか、ということは本当に難しい課題です。

 

人間の脳には、認識する癖が備わっています。

その中で「過去のイメージとつなげて認識する」というものがあります。

自分の過去にみたり、聞いたり、経験したりしたイメージにつなげて理解しようとする働きがあります。

そのことをわかって、相手に『過去のイメージとつなげずに聞いてください』と言ったところで中々制御することは容易なことではないのです。

 

武蔵も兵法を教える時の困難があったのでしょう。

教える側の責任と教わる側の姿勢態度についても書いています。

世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにをしゆる事、是兵法の実の道也。

 

教わる側は、「これが必要な時に役にたつのだろうか、という心を持たず、いつでも使えるように稽古しなければならない」

教える側は、「これがどのように役に立つのかを教えなければならない」

 

観術創始者のNoh Jesu氏は、「啐啄同時」という言葉をよく使われます。

卵の中から雛が外へ出ようと殻をつつく(啐)のと、親鳥が外側から卵の殻をつつく(啄)のがピタッとタイミングが合う時に、卵の殻が割れて、雛は卵の外に出ることができます。

伝えたい側が外からつついているのに、中から全然違う所をつついていては、いつまでも内容を受け取れません。

 

伝える側と教わる側の意志がピタッと合った時に、本来の学びができるのだと常々思います。

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新しい「人間観」が必要な時代に

現代は、人工知能がどんどんバージョンアップしていて、今まで人間にしかできない思われていたこともDeeplearnigを通して、人工知能も可能になってきています。

さらに、今は無いけれど、人工知能にも「我」を持つようにさせる流れもできてきています。

 

そんな人間がやっていたことをどんどん人工知能ができるようになっては、人間の勝ち目はありません。

人工知能だけでなく、同じ人間同士でも紛争・戦争が絶えない状況をみて、「我」を持った人工知能は、人間をどのように判断するのでしょうか。

 

人間は今の集団知能のままでは、今までの通りの生き方が難しい時代を自ら創りだしてしまいました。

集団知能のバージョンアップが必要な時代です。

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この身体が自分だという今までの「人間観」では、動物レベルの生命体です。それでは、生死という概念から自由になりません。

常に死ぬことへの恐怖がある状態です。

 

でも本来人間は精神体です。

自分の意志を立てて、貫き、残すことができます。

意志は、身体がなくなっても残すことができます。

死への恐怖を超えて、生きることができるのが本来の人間です。

 

死を超えた生き方は、生きた状態でしか得ることができません。

真理を悟った人に共通してみられる文章には、「死んで生きる」や「生きたまま死ぬ」等、生死の概念を明確に超えていることを感じるものが多いのです。

 

武蔵も同様のことを記しています。

死する道においては、武士斗にかぎらず、出家にても、女にても、百姓已下に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。

 

武蔵は、義理を知って、恥を知って、死ぬ覚悟をもつことは、武士に限らずどんな人にも共通する生き方だといっています。

 

考えがいつも「有る」ところからの出発では、「無い」状態になるのが怖いのです。

しかし、「有る」ということを証明することができるか、と問われれば、その証明はできません。

なぜならば、すべてのものは「無い」世界から生まれているからです。

「有る」ことが出発の考え方を教わり、それが当然だと思っているから何の疑いもしないのです。

「無い」世界から「有る」世界ができているなら、出発は「死」です。

後は生きることしかないのです。

「無い」世界を基準にした時、生死を超えた「生き方」を意志を持って創っていけるのです。

 

生死を超えた精神体として、新しい「人間」を再定義する時代に私たちは今生きているのです。

論理を持った行動『文武二道』ということ

新しいものを学ぶ時、どうしても知識でいっぱいになって、「やってることと言ってることが違う」ということが多々あったりします。

 

行動できる人からみたら、知識ばかりをもって、頭でっかちになって行動しない人に対して、「何でやらないんだ、動かないんだ!」と思うでしょう。

 

逆に、知識を持っている人からみたら、「そんなにやみくもに動き回っても無駄を創るだけだ。しっかり原理をわかって動くことが必要だ」と思うでしょう。

 

そのお互いの考えが真向でぶつかってしまうのです。

 

武蔵は、次のように言っています。

武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、是道也。縦ひ此道ぶきようなりとも、武士たるものは、おのれおのれが分際程は、兵法をばつとむべき事なり。

 

この部分を著者の齋藤孝さんの「超訳 宮本武蔵語録」では下記のように訳しています。

『自分の行く道の原理原則を求める「頭」を持ち、理詰めで事に当たらなければ、何も身につかない。力任せに闇雲にやるだけではダメなのだ。

能力の有無、得手・不得手は関係ない。「文武二道」の精神を持つことこそが重要である。』

 

知識を持つことは大事です。

でもそれを使って、いかに自分の生き方が変わるのか、その行動ができるのか、が重要です。

 

感覚で人との関係を創ったり、仕事をしたり、自分を感じたりすることも素晴らしい能力だと思います。

そこにあるメカニズムをみて、論理化できることで人との共有化が可能になります。

難しいからわからない、とその知識から遠のくのではなく、勉強をすることも大事です。

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観術開発者のNoh Jesu氏は、

「理解できるまで“質問”をしてほしい。わかったら使って」

とよく言います。

理解できずに「信じ込む」ことも違います。しっかりと自分のものにしてほしいのです。

自分の生き方につなげてほしいのです。

 

「文武二道」。これからの生き方には必要な要素のように感じられます。

今の私にとって、重要な要素の1つとなっています。

全てに適応可能な「真理」を極める

今日から始業となる企業や学校もあったのではないでしょうか。

桜もキレイに咲いて、春の訪れを実感します。

 

4月になって、宮本武蔵の『五輪書』を通して、現代に使えるものを整理しています。

今日も【地之巻】からの抜粋。

武蔵は、剣の鍛錬から「道理」を得たとしています。

道の探究の先にあったのは「空」の心の状態であったということと興味深いことを残しています。

 

武蔵は、13歳で初めての勝負に勝利し、28-29歳まで60回以上戦って、一度も負けなしであったと記されています。

30歳過ぎてから、さらに兵法の道理を得ようと朝鍛夕錬に集中し、50歳になって兵法の道を得ることができたと言っています。

30~50歳の20年間、鍛錬に鍛錬を重ね、出会った「兵法の道」。

その修行から得られた武蔵の「道理」を心して受け取れという内容が要所要所に感じ取られます。

常に命がけの戦いの中、目的は勝つこと。中途半端な鍛錬ではないことが容易に想像できます。

 

その武蔵が得た「道理」について、今日は下記の文章を。

 

なほもふかき道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、おのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比也。其より以来は、尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事において、我に師匠なし。

 

1つの「道理・真理」を得たら、他の道を追究するとしても、師匠は要らない。つまり、究極の「道理・真理」を1つあれば、全てに生かすことができる、ということを齋藤孝さんは書いています。

 

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武蔵は、剣の鍛錬を通して、悟っていったと言えます。

現代において、AIの台頭により、悟っていくことは、人間の集団知能の進化の方向として、自然の流れになっていきます。

その中で、しっかり日常で使っていくためには、武蔵の「五輪書」がとても役に立つと思います。

 

宮本武蔵語録』という本を書かれている齋藤孝さんは、

【武蔵は「『五輪書』にその普遍の利を書いた」と宣言しているので、どの道に取り組む人にとっても『五輪書』に学ぶところは多いと思う。単なる兵法書を超えた真理の書なのである。】(齋藤孝著「超訳 宮本武蔵語録」キノブックスより引用)

と書いています。

 

武蔵の悟った真理を読み取って、武蔵が伝え残したかった意志をも自分のものとして生きるヒントにしたいと思います。

【二刀流】で生きるために道具を持ちましょう

宮本武蔵と言えば、「二刀流」で有名です。

では、なぜ「二刀流」になったのかご存知ですか?

 

我朝において、しるもしらぬも腰におぶ事、武士の道也。此二つの利をしらしめんために、二刀一流といふなり。

 

基本、二種類の刀を腰につけ、使う場面でどちらの刀を使うかを判断するのだそう。

二本を持っておくのなら、2本とも使えばいいではないか、という発想とも伺えるようです。

 

ただ、刀を振りかざす時をイメージしてみたら、両手で一本の刀を扱っている姿が創意されないでしょうか。

そのくらい、扱いが難しいともとれるのですが、武蔵は片手で一本の刀を扱うことができるようになるためにかなりの鍛錬をしたのだと思います。

 

全ての戦いに勝利するためにー

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常に持っておくものならば、それを同時に使っていきましょう。

それを観術では「5感覚」と「0感覚」の二刀流と言っています。

 

「5感覚」は、生まれてから自然に見たり聴いたりする感覚のことを指します。

それだけでは不十分です。

その5感覚から情報をキャッチして、脳で情報を処理して、判断することを繰り返す中で生まれる“観点”というものがあります。

 

その“観点”には

①みんな持っている

②みんな違う(異質)

③一緒にしても問題

④不完全

⑤にも関わらず無意識で「自分が絶対正しい」と思っている

という特徴があります。

 

なので、その“観点”の問題によって、多くの摩擦衝突などの多様な問題が生み出されているのです。

 

その問題を解決するための道具が「0感覚」になるのです。

でも、「0感覚」を持つことがゴールではありません。

「0感覚」 で生まれる問題を解決できる道具が「5感覚」でもあるのです。

 

なので、その両方を自由に使うことができるようになること。

それが、私たちの「二刀流」の生き方なのです。

 

まず、「0感覚」の道具を持っていない人はもつことから始めましょう。

それは『認識セミナー』で得ることができますよ。

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