大きくなっても思い出される人間になるために
現在、保育の現場に関わらせていただいています。
子どもたちの成長は目覚ましいものがあります。
言葉を話すようになること
友達と遊ぶようになること
歌を歌えるようになること
音楽に合わせて体を動かせるようになること
トイレに行けるようになること
…等々
本当にこちら側が感動でうれしくなります。
そんな子どもたちが、これから未来、どんな成長を遂げていくのでしょう。
これから先、またどこかで関わることができるのでしょうか。
大人になってもイメージの中に残る人物であれたら、最高に幸せなことだと思います。
彼らにとって、必要な“海”になれるように関わっていきたいと思います。
3月という季節は、さみしくもあり、最高にうれしくもあります。
人生の旅路の節目。そこに関わることができる役割に感謝です。
強く大きく前進するための1つの選択肢
「その時の日本はどんな国になっているのでしょうね」
ある映画のある場面のセリフです。
私は、この場面を観たときにいつも涙がでます。
どんな日本になっていることを願って、自らの命を懸けたのか。
今までの日本を創った人たちはどんな思いで“日本”という国を自らの中に持っていたのか。
日本人というアイデンティティをどのように立てたのか。
なぜ、
日本という国家アイデンティティが持てなく、少しでも日本を語るならば、偏った見方と引かれるような国になってしまったのか。
日本という国にプライドを持つことができない日本人になってしまったのか。
たくさんの夢に破れ、勝者との差を見せつけられ、頑張ること、熱くなることをやめ、周りに合わせ、周りの目を気にしながら生きることが忙しくなっている日本人。
その姿をみて、冒頭のセリフの彼は何を感じるのだろう。
どんな言葉をかけるのだろう。
その当時には、それ以外の選択肢がなかった人たちのとった行動があります。
どれだけ、おかしなことだと思っても、未来の日本に向けて、それ以外の選択肢がなかったとしたら。
日本が前に進むために、日本が大きく強くなるために、それしか選択ができないとしたら。
その思いを引き継いだ私たちが持つべき選択肢もまた1つしかないのではないか、と思うのです。
しっかりとその意志に触れ、その意志を引き継いでいきたいと感じる今日この頃。
ふと、思い出したこと。
ふと思い出したことがある。
私は、絶対に壊れない“仲間”がほしいと思っていた、ということを。
なぜ、そのような思いを持っていたのかということはわかっている。
そこについて、あきらめていた、ということも。
でも、もう追求してもいいかな。
仲間創り始めてもいいかな。
その準備ができたから、思い出したのだろう。
今は、その“仲間”はできる確信はある。
ただ、自分があきらめなければ。
ただ、自分がそこに向けてアクションすれば。
ただ、自分がー。
全てを包んで超えていく道
あれから7年ー
誰もがこの日に立ち帰る。
6年という月日は、人を変化させるには十分な時間でもあります。
前に進まなければならない思いと
忘れてはならない思い。
すべてを抱きしめて、新しい希望の時代を創ることが残された私たちの歩む道なのではないか、と思うのです。
そこに向かう意志を強くしていこうと思う、3月11日。
何通りも存在する“今”という瞬間
“今”
という年月や時間は同じものを共有しているようだけど、
感じ方は十人十色。
“今”
というこの瞬間は
何千通りも、何万通りも、何億通りも存在している。
認識の数だけ宇宙は生まれる。
脳のスピードに負けない認識になるために
子どもの成長はとても早いように感じることありませんか?
変化が明確にわかるから、感じやすいのだと思います。
1年間という時間は、とても大きな変化を創ります。
でも、身近に視点を動かしてみても、全てのものは今この瞬間変化しているのです。
明らかに変化を感じるもの、全く形状の変わるもの、そのようなものしか私たち人間の脳は変化を感じられないのです。
でも、植物はこの瞬間も水分を引っ張って、生命へと変化ているのです。
人間の脳がキャッチできるスピードが遅いのです。
脳のスピードよりも速く変化するものは、変化を感じることができないのです。
その脳を使ってみる限り、身近なことに感動をするチャンスを逃しているのです。
大きなショック、刺激ばかりがほしくなります。
こんなに周りに感動できるチャンスがあるのに。
こんなに神秘な世界に生きているのに。
当然を当然と思ったら、感動のチャンスがなくなります。
脳のスピードよりも速いのは、心です。イメージです。
その心、イメージそのものになってみたら、今までみていた世界が変わります。
心は一番深い、不動の心です。
HITOTSUしかない世界です。
そのイメージをしっかり自分の中に持つことができた時、不動の心と出会うことができます。
その不動心そのものが本来の自分であり、全ての創造の根源でもあるのです。
まずはその心のイメージを持つことから始めていきましょう。
脳の機能、観点があるから出会える“桜”
この時期、お店に並んでよく見かけるのは、「桜」の文字の書かれたスイーツを始めとする食品の数々です。
私は、この「桜」の餡やクリームが大好きで、ついつい手に取ってしまいます。
本当に桜の花の塩漬けを使用しているものや、桜の葉をつかっているもの、実際に桜の木のエキスを使用しているものがあると思いますが、中には「桜“風味”」というものもあります。
桜の味をする大元は入っていなくても、桜の味を感じることができるのは、人間の脳の機能、観点によるものです。
人間の脳の機能、観点には、
①部分だけをとって認識する
②違いだけをとって認識する
③過去のイメージとつなげて認識する
④有限化させて認識する
というものがあります。
上記③の観点で、過去に嗅いだことのある匂い、味わったことがある味、が記憶されて、そのイメージが瞬時に想起させ、今目の前にあるものとつなげて認識しているのです。
科学的に匂いや味を再現させ、さも中にそのものが使用されているような感覚になるのです。
フレグランスなどが流行っていますが、その中にお花や森林や果実は入っていないのです。その香りにそっくりな香りを再現して創っているのです。
脳の機能、観点があるから出会うことができる“香り”。
他の感覚も同様に脳の機能、観点によって、現実に“在る”ように感じることができているのです。
脳の機能、観点から自由になった時に、脳のアートを錯覚を楽しむことができるようになるのです。
この時期に出会える“桜”。
5感覚フルに使って出会いたいと思います。