Creative of Zero Space

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存在させている“みえない背景”にスポットを当てて書いていきたいと思います!

人類の知が真理に到達できるために超えるべき課題「知の不完全性」

先日、「思考する動物、人間を超えるために、思考の道具脳を使う智慧」というタイトルでブログを書きました。

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人間は他の動物と違い、思考することができます。

その思考により、多様な思想、哲学、宗教、科学、学問を創ってきました。

その思考により、たくさんの情報知識を蓄積できるようになりました。

 

それが逆に、考えから抜け出せない、知った知識が絶対と思ってしまう罠になっていくのです。

人間は個人個人の観点があります。

自分の経験や体験から得た情報を何度も反復して、

「○○したら△△になる」という判断基準、観点を創っています。

それを無意識に『絶対正しい』と思い込んでいるのです。

 

“無意識”なので、どれだけ疑っていても、いざという時にはその判断基準で戦っているのです。

 

その『知の完全性』は、実はある人物の論理によって破られているのです。

 

その人物とは、20世紀初頭に活躍した天才数学者クルト・ゲーデルという人物です。

どんな人物よりも論理がシャープだったと言われています。

そのゲーデルが実は、『知の不完全性』ということを証明しているのです。

 

それは、『ゲーデル不完全性定理』というもので、証明されています。

 

これが出された背景を簡単に表すと、20世紀初頭の当時は、いかなる学問の中で数学が一番でした。

そのような中で、同時期に活躍していた数学の権威であるダフィット・ヒルベルトという人物が、「数学は矛盾のない。数学は完全だ。数学で証明できないものはない」ということを一緒に証明しようではないか、という『ヒルベルトプログラム』というものを立ち上げ、世界中の数学者に呼びかけました。

若きゲーデルもそのプログラムに参画し、見事証明してしまいました。

 

それが、「数学は不完全である」ということ。数学では証明できないものがあり、全てを証明する完全な論理ではない、という『知の不完全性』です。

ヒルベルトからすれば、それは面目丸つぶれです。なぜなら、ゲーデルの証明した理論が正しいということがわかるからです。

当時、最高の学問が数学だったので、そこに追従する他の学問、科学、哲学、法学…あらゆる学問が不完全である、ということになり、正しくわかることはできない、ということになり、激震が走りました。

 

彼が証明した論理は、『知の完全性』からみたら、少し観点を動かしやすくなるという意味では大きな結果になりますが、『知の不完全性』を証明したことにより人類の知が真理に到達できないということを意味することになります。

 

人類の知が真理に到達できるためにも「知の不完全性を補う」論理が必要です。

それが、『無知の完全性』。

知っている世界から自由になる智慧、論理とは。

そこを論理とイメージで突破できるのが観術なのです。

日本の龍はまだ死んでない

アメリカの大統領が変わり、北朝鮮の核爆弾の報道が増え、世界の状況が大きく変わってきている昨今。

この時代を変革するリーダーに日本がなるだろう、と思っている人はいないのではないでしょうか。

世界からみたら、日本は「終わった国」としてみられていることの方が多いように感じます。

 

そんな中でも、不思議と「この国は何かある」という心もあります。

 

敗戦後、日本は酷いレッテルを貼られ

それでも高度経済成長を成し遂げましたが、今は経済も低成長を続けています。

そして、3.11で起きた原発事故。

 

なのに、日本はつぶれていない。

なぜ、日本はつぶれてもつぶれても立ち上がるのかー

 

ある人は言います。

『まだ日本の一番深い魂が生きているから』と。

『私はそこに勝負をしたいのです』と。

 

その人は、日本全体を“龍”としてイメージしています。

『日本は一度、アジアに向けて、世界に向けて理想を爆発した龍だ』と。

でも、負けたから。

傷ついて、倒れて、もう一度チャレンジすることができなくなっている。

 

日本は2度過去を切りました。

1度は「明治維新

命よりも大切だった刀を置いて、西洋を受け入れました。

 

2度目は「敗戦」

負けを認め、負けた側としてアメリカを受け入れました。

敗戦後も、戦前志を共に戦った志士の意志があったから、再度経済復興を遂げることができましたが、その後、TVを通して、どれだけアメリカがすごいのかをみるようになりました。

更に、バブル崩壊

 

何度倒れても立ち上がることができたのは、根底に日本を創ってきた志士の意志があったから。

それも今はもう絶たれようとしています。

 

でも、ある人は言います。

『まだ日本の龍は死んでないよ』

『富士山の飛龍は、まだ死んでないよ』

 

そのメッセージを届けようとしてくれる“韓国人”がいるのです。

 

日本は、十分に負け側の姿勢をみせたから。

十分受け入れたから。

もう、十分じゃないか。

 

だから、もう一度立ち上がって。

今度は、平和で愛で真理で尊厳で世界にチャレンジしてほしい。

 

このまま置いておけば、世界は核戦争の時代に行ってしまう。

その流れを唯一止めることができるのは、準備のできている日本なのです。

日本は「平和の種」だと。

 

世界を人類の歴史を次元上昇させることができる国が日本だと。

 

21年前から変わらずメッセージを投げ続けているのが韓国人のNoh Jesu氏です。

日本人がみている日本とは違う日本をみています。

Noh氏の観ている日本の背景をみてほしい、感じてほしいのです。

私は日本人として、彼の言葉を無視できない。

1人でも多くの日本人が世界をリードしていく日本のイメージができるようになった時、日本は「平和の種」になると思います。

 

日本の魂よ、一日も早く目覚めますように。

 

彼が伝え続けているメッセージです。

思考する動物、人間を超えるために、思考の道具脳を使う智慧

人間の宿命的課題、それは考えること。

他の動物と違って、人間は思考ができます。

それによって、唯一真理を追究することができるのです。

人間とは何なのか、自分とは何なのか、生きるとはどういうことなのか。

人間がその“答え”に辿り着くことができるのです。

 

真理の探究は問答によってされています。

質問に対して答えが出る。そこから次に生まれる質問に対して答えを探す。その繰り返しによって、真理に到達します。

 

しかし、その思考ができるようになったことで、また、その思考に苦しむことにもなっています。

 

多くの情報を一度に得ることができるようになった現代。

知れば知るほど、多くのことを経験すればするほど、無意識に生まれる『正しい』と『間違っている』という格差。

 

知っている知識が増えれば増えるほど、人を判断するデータも多くなり、格差も創っていきます。

その考えから自由になれずに人との関係性が創れない。

その考えにつかまれて、新しいチャレンジができない。

完全に『知の完全性の罠』につかまってしまうのです。

悟りとは、その『知の完全性の罠』から自由になることなのです。

 

知っていることと知らないことの格差を創らない。

悟りとは『差を取る』とも言えます。

本当の悟りが分かれば、究極に差を取ることができます。

 

しかし、人間は思考します。

他の動物よりも発展した脳があるからです。

その脳をわかって、脳を使って、脳を超えなければなりません。

それは、今までの歴史上にない、究極の智慧によって生まれた道具によって可能になります。

その道具が、観術であり、その開発者であるNoh Jesuだと私は思うのです。

 

www.noh-jesu.com

人生瞬間勉強!

学びは、人に伝えるようになればなるほど、深まります。

自分が完全にわかって人に伝えよう、とどうしても思ってしまいがちですが、その状態はいつまで経っても来ないです…

 

伝える側を選択した時、学びは始まるのかもしれません。

 

中学の時、大好きだった国語の先生に誕生日プレゼントに1冊の本をいただきました。

そこにお手紙がついていて、

「人生一生勉強」

と書かれていました。

当時の私は、一生勉強していくのか、とゲンナリしたことを覚えています。

 

今になって振り返ってみると、

「人生瞬間勉強」

だな、と今では思います。

先生、ありがとうございました。

 

 

先生、お元気かな。

会いたいな…

禅の悟りの道筋を表現した「十牛図」の前段階

昨日、「考えを卒業するための究極の質問」というブログを書きました。

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その究極の質問に出会い、その答えを知り、新しい生き方を表現しているものに、『十牛図』というものがあります。

これは、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題に十枚の絵で表したもの(ウィキペディア「十牛図」より)です。

 

十牛図は、牛を探そうと意志を立てるところ(尋牛(じんぎゅう))から始まっています。

しかし、観術創始者のNoh Jesu氏は、この前段階があると言っています。

 

それは、繋がれていた牛が逃げたところから始まります。

農業社会では、牛はとても貴重な道具でした。

その牛が逃げたことにも気づかず、主人は夢の中です。

これが何を表現するのか?

 

『今、人間が生きていると思っている世界が夢の中である』ということなのです。

 

夢の中にいることにも気づかないで、相手に対してムカついたり、へこんだり、悲しくなったり、喜んだりしている状態なのです。

牛は、「本来の心」「本来の自分」と表現することができます。

 

本来の自分が何かわからず、夢の中の自分を自分と思い込んでいる、それが尋牛の前段階にあたるのです。

 

夢から覚めて、牛がいなくなったことに気づき、牛探しが始まります。

牛の足跡をみつけても、実態はまだみえません。

 

その牛をみつけて、どんな状態で「究極の質問」に辿り着けるのでしょうか。

 

その質問に辿り着くためには、そもそも「夢の中」にいることに気づかなくてはならないのです。

そして、牛が逃げたことに気づかなくてはならないのです。

 

悟りを追及した方たちがどんな心でその答えを知りたいと望んだのかー

 

考えを卒業するための究極の質問に辿り着くためには、どのくらい懇切な探求心と切迫感が必要なのか、その姿勢を感じ、その心を育てていこうと思います。

考えを卒業するための究極の質問

3月になりました。

3月は、“卒業”シーズンですね。

新たな旅立ちには、必ず何かからの“卒業”があります。

 

全てのモノゴトには、STOPがあって、STARTがあります。

選択と放棄も同じような感じです。

明確にSTOPして、新しくSTARTができます。

 

STOPしきれないまま新しくSTARTするとうまくいかないのです。

この瞬間、1度にできることは1つです。

1つを選択したら、他は放棄しているのです。

目の前のことをやりながら、頭では別のことを考えている状態では、効率が悪くなかなか作業もはかどりません。

 

実は考えは、無意識でされているようで、人間は1日で5万回くらい考えるそうです。

意識的に考えていなくても無意識で思考しているようです。

1つを選択していると思っていても、実は選択しきれていないことが多いのです。

 

考えから自由になることは容易ではありません。

人間は考える生き物だから。

その考えを切ることができる究極の質問を考えてみてはいかがでしょうか。

究極の質問、人間が考えを卒業することができる最後の質問に辿り着くことができたら、必ずそこに呼応する究極の答えが導かれるはずです。

 

その最後の質問とは何か?

その質問を探す“牛探し”に一緒に出かけませんか?

時間は“創るもの”。時間を編集デザインするプロになりましょう!

今日で2月が終わります。

2017年は2か月が過ぎます。

 

1月最初に立てた目標が、とても昔に立てたような気さえする濃度なのか。

最近正月休みがあけたと思ったのに、もう2か月経ったの!?という濃度なのか。

 

時間は『有る』ものではないのです。

存在によって変わるのです。

どんな心で過ごすのかによって、短くも長くもなるのです。

 

存在と分離独立して『有る』ものではなく、

存在と連動して動いているのです。

 

これは、アインシュタイン相対性理論でも言われている話。

 

私たちが日常で使っている科学の世界は、実はニュートンレベルでとどまっているのです。

西洋の世界観を創ったデカルト

「時間、空間、存在はすべて分離独立して存在している」ということが大前提。

その上で、デカルト座標なるものを創り、その基準軸を打ち立てたのです。

その座標の中で、より精密な方程式を創ったのがニュートン

地球上にいたら、ほとんどのことがこのニュートンの方程式で整理ができます。

私たちの認識は、「ニュートンデカルト」レベルなのです。

もっと言えば、小学校、中学校の義務教育期間中にこのニュートンデカルト認識を知らず知らず洗脳されているようなものなのです。

 

残念ながら、このデカルトの座標軸はアインシュタインが出てきたことにより、破壊されているのです。

上記にも挙げたように、時間、空間は存在と分離独立して存在しているのではなく、相対的に変化するのです。

 

ですが、私たちの認識は「ニュートンデカルト」レベルなのです。

この基準軸にまんまとはまって、物事を図っていたのです。

正しくない基準軸を持って、いろんな知識を蓄積していたのです。

 

さらに言えば、アインシュタインの概念も量子力学素粒子物理学によって破綻されていますが。

これらの理論は、使う場所が異なることで同一線上に並べることができないようみられますが、ひも理論や膜理論まで出ている中で、理論上、統一されているので、同一線上でみていますが。。。

 

この物理学の変遷と認識方式の変化についてもまた整理していこうと思います。

 

ということで、明日から3月。

長い時間を有効に過ごせるようにするのも、アッという間に過ぎる時間にするのも私たちの時間の「創り方」次第です。

時間を編集デザインするプロになりましょう。